この場所で息をする方法

自己救済の伝播

人生の参加チケット

——人生の参加チケットをもらってないような感じ。

いきなりだがわたしはときどき、何をしたらいいのかわからなくなることがある。スーッと潮が引いてゆくように、わたしがこの場所から出ていってしまうような感覚。残されたわたしの身体が、途方に暮れているような空っぽの感覚。そういうときは空洞を埋めたくなるので、たいてい仲のいい女とパジャマパーティを開く。わたしたちはとびきり甘い缶チューハイを床に直置きして座り込む。友人宅のフローリングは、どっしりツヤツヤしていて海底のようだ。友人は自身の報われない片思いについて語り、わたしはつめたい生ハムをむしゃむしゃ食べながら耳を傾ける。換気扇が「うーん」と低く唸り、話題はいつのまにか恋の軌道を大きく外れている。彼女は、「人生の参加チケット」をもらいそびれたという。

——高校とか中学の頃から、彼氏彼女って言ってた人たちは、チケットをもらってるって思ってた。そいつらはあっちの世界に入る権利があって、わたしにはない、みたいな。だからわたしは恋愛する権利がないって、諦めてたのにさ。

——うーん、わかる。

彼女は、子供の頃から手放せないのだと言うサメのぬいぐるみをいじっている。彼女がぬいぐるみの両脇についた、おててのようなふくらみを動かすたび、そこから思い出の胞子が溢れる。目には見えないけれど、彼女の20年分の想いが、たしかに空気中を舞う。わたしはそれをまともに吸い込んでしまう。まともに吸い込んで、まともにあてられて、わたしは自分が次第に彼女の一部になってゆくのを感じる。そして共感という名の大穴に転落してしまう。

このタイプの人間を、世間ではHSP(Highly Sensitive Person)と呼ぶらしい。HSPで検索してヒットした記事を読んでみると「このタイプの人は流されやすいです。非常に繊細です。でもねそれって才能なんですよ。才能を生かしましょう。素晴らしい人生を切り開くのだ、才能があるからね。ただし非常に繊細で、人に流されやすいわけだが」というようなことが書いてある(インターネットに転がる記事を読んでいると、壊れたレコードを聴かされているような気分になるのはわたしだけ?) 。要するに、これといった対処法は見つからない。壊れたレコードからは正解なんて流れてこないからね。だからわたしはせめて、他人と同化することにはしゃがないようにしている(正解ってなんだろう)なるべく無害な「木のウロ」でいようとするわけだ。正解ってなんだろう?

海底に、恋に恋する女と、無害な「木のウロ」と、サメのぬいぐるみとが黙って沈んでいる。彼女はもう30分も前から、ずっとサメのおててをいじっている。わたしはひんやりした生ハムをむしゃむしゃ頬張っている。沈黙はたっぷりと言葉の可能性を含んでいる。語ることは不可逆で、人生の参加チケットを持っていないわたしたちは自信がないので、タバコの煙で会話する。ふたり分の「語られなかった言葉」たちは換気扇を通って、23区外のとろとろとした夜に落っこちてゆく。

わたしは夜が好きだ。なんといっても清潔だから。どんなに贅沢な使いかたをしても、夜は時間通りにスーッと舞台の裾にはけてゆく。例えば、そう、そうだ、群青色のカラーセロファンが1000枚くらい重なっている状況を想像していただけますか? あ、いいえ、状況の方はいいですから光景だけを。それを一枚ずつ丁寧に取り去るように、規則正しく夜は明ける。夜の持つたしかな時間感は、地球上で一番信頼できる。その点、朝と言ったらなんなのだ。1000枚もあったカラーセロファンの、最後の一枚が取り払われたとき、それがまさに夜明けなのだが。群青色のもやを隔てて会話していたあなたとわたしが、ぶざまに鼻を突き合わせてしまったときの、白け具合ったらない。「朝が来るのが怖い」と、「人生が続くのが怖いのだ」と漏らすと、男の人や女の人に笑われる。臆病者だ、ひねくれ者だと。でも彼らはそんなわたしを気に入ってくれていて、始発で別れてまたいつかの終電で会う。

わたしは夜が好きだ。ピンク色が好きだ。浴槽に浸かって読む江國香織作品が好きだ。ファーザー・コンプレックスで、髪を赤く染めている。料理はいまいちだけど裁縫ならちょっと自信がある。宮城県の小さな漁村に生まれて、いまは東京の小さなアパートに住んでいる。都内をでたらめに歩き回るのが好きだけど、どこにいてもなんだか閉じ込められているような気がする。あるいは次の一瞬にだれかに捕まって、どこかに閉じ込められるような気がする(臆病者で、ひねくれ者で、かなりビョーキだ)。でもまあ誰かにとっての「木のウロ」になることはできる。トルーマン・カポーティを崇拝している。泣き虫で、迷信深くて、たびたび悪夢にうなされる。


わたしは宮城県のちいさな漁村で生まれた。自宅から水平線が見えるようなのびやかな土地だった。名産は牡蠣で、こぢんまりした海水浴場があった。それから、みんながいた。遊びに行くとイカリングをおまけしてくれるおばちゃんもいたし、チャボを10匹以上飼っている気さくなおじさんもいた。父もいた。父は幼いわたしを毎日のように海に連れて行ってくれた。あれはヤドカリがたくさん棲む浜、これは桜貝の浜。必ずしも美しくはなかったけれど、海はそこかしこに、当たり前のようにあった。わたしは海を不動のものだと思っていた。けれど、ほどなくして東日本大震災に遭った。それから、みんないなくなった。わたしも地元からいなくなって、というか、そもそも地元はなくなった。地盤沈下の影響で海が動いたのだ。助かった人はみなタンポポの綿毛のように散り、わたしは母と二人暮らしをすることになった。

あたらしい部屋は真っ白な部屋だった。被災直後は家具がなくていやに静かだった。多感な中学生だったわたしはその部屋で泣いてばかりいた。好きな男の子にいちばん星の写メを送るなどの健気なアピールをしていたのに、大きな嘘をつかれていたと知って、白い部屋に帰って泣いた。宮城の田舎では美大受験を認められないどころかひどい偏見があって、白い部屋でひとりで泣いた。故郷の海を理想化して感傷に浸り、白い部屋で泣いた。さみしいときもひとり部屋にこもって泣いていた。いつしか部屋はつめたく神聖な懺悔室のようなものになった。つまり、「木のウロのための木のウロ」の役割を果たしていたわけだ。だから白い部屋は紛れもない味方だった。しかしあくまで泣くための場所であって、安心して眠る場所ではなかった。懺悔室で泣くたびに、人生の参加チケットがすり減ってゆく。やがてわたしは「ここにいてはいけないんだ」と悟り、大学進学とともに上京した。


しかし今でもわたしの心は、肉体をぬけだしてあの部屋に帰ってゆく。不思議なものだ。わたしは今では愛するアパートの——白い——一室に恋人や友人をいつでも招くことができる。スパイスや甘い香水やお菓子の匂いで部屋を満たし、何もかも床に散らかして遊べばさみしくなんてないはずだ。友人宅——壁が白くて、でもやさしい部屋——にお邪魔してパジャマパーティをすることだってできる。でもしばしばスーッと潮が引くように、わたしはわたし自身から抜け出して、身体を幸福なアパートに置き去りにしたまま、魂だけで想像上の白い懺悔室にうずくまる。そこは四方八方を白い板に囲まれた何もない部屋で、ただあらゆる可能性を内包している。語られなかった言葉で満ちていて、パラレルワールドと繋がっている。光を取り込む大きな窓があり、鍵の開いたドアがある。いつでも動き出すことができる、何処へだってゆくことができる。それでもわたしは夜が来るまではまんじりとも動けない。だって、1000枚もの群青色のカラーセロファンの影に、隠れていたいから。あなたと鼻先を付き合わせるのがなんだか恥ずかしいから。——そう、人生の参加チケットを持っていないから。

(いやむしろ、この部屋は失くしたはずの、参加チケットの半券でできているのかもしれない。一枚の紙を折って正方形を折ることは容易い。昔から折り紙は得意だったし。たとえば札幌の白い時計台に着いているのにどの建物か気づいていないかのような、眼鏡をかけていながら眼鏡を探しているような、そういうことが起こっているのかもしれない。そうじゃないかもしれないけど、)とにかくわたしはこういうパラドックスの中に逃げ込んで、つまりは白い懺悔室の中に逃げ込んで、

今日も23区外のとろとろした夜の訪れを待っている。浴槽で江國香織作品を読む。そろそろパパに電話をしようかな、パパだって永遠に生きてるわけじゃないから。人魚姫にはなれないけどせめて、髪を赤く染め直そう。安心できる場所を求めてでたらめに歩き回るけれど、どこに行っても結局「木のウロ」になってしまう。だからまた白い部屋に逃げ込むのだろう。わたしは白い部屋に閉じ込められているような気がする。閉じ込められる予感がする。そんなことを考えているあいだにも群青色のセロファンは一枚づつめくられて、うんざりするほど真っ白な朝の光が、だんだんこの部屋に向かって来る。一点の曇りもない白が、音を立てて近づいて来る。